書いて食べてをきみへ

いつの頃からか、もうさかのぼるのも複雑なのでやめておくけど、「生活」に直結することが仕事のテーマとなり、結果として今わたしも夫も、そうした仕事のおかげで生活している。

ありがたいことに毎日なにかしらのするべき仕事(タスク)があって、自分の暮らしのためにしなくてはならないこと(これまたタスク)もあって、仕事と生活の境界線はかなり曖昧ながらも、私は毎日タスクとタスクの間を行ったり来たりしながら暮らす。 
 
最近はやっと、身の丈がわかり、無理をしなくなり(いや、時々ちょっとだけ無理してるかもしれないけど)季節の食を自分たちなりに楽しみ、映画や本に日常的に触れ、家族や大好きな友だちとの語らいを大切にしながら、それらを書き綴ることがわたしにとってこれほどまでに幸せだったのかと感じている。

ふと、25歳の自分が今の暮らしを見たらどう思うだろうか、などと考えることがある。

ダサいとか地味とか言うかもしれないし、いつまで日本にいるのかと軽く罵るかもしれないけど、健康で幸せで文化的であること以外ほかに何を望むのか、と問い返す内容まで妄想している。

昔も今も、わたしの願いは世界中の誰もが健康で幸せに暮らすことだったし、もっと本質的なところでは、誰もが同じ望みを持っていると信じる性善説主義者なのだから。
 
ということで25歳のわたしに伝えたい、今の暮らしについて少しずつ綴ろう。